[トップページ]



ジャズのよもやま話


(21)ウェザー・リポートのこと

ウェザー・リポートの結成は、1970年末。

ジョー・ザビヌルは、キャノンボール・アダレイのグループで、「マーシー・マーシー・マーシー」の作曲者、私もキャノンボールが来日した時に見ました。

ウェイン・ショーターは、ジャズ・メッセンジャーズからマイルスのグループへ・・・才能豊かで、コルトレーンの影響も強く、私は主流派を歩むと考えていました。

ジョー・ザビヌルは、その音楽性からweather report路線は当然ですが、ウェイン・ショーターの参加は、多くの人達には意外だったんですよ。

もっともその当時、JAZZはアメリカでは商売にならず、多くのJAZZMENがヨーロッパに渡っていた時代ですから、その選択は正解だったと思います。

最初のベーシストがミロスラフ・ビトウスで、「ブラック・マーケット」からジャコ・パストリアスが参加して、2作目「ヘビー・ウェザー」で双頭から三頭バンドになりました。
私が知っているのはここまでで、それ以降は聞いていません。
しかし、それからもう20年以上経つわけで、時の流れは早いですね。


(22)ビリー・ホリディのこと

彼女がいかに恵まれない人生を送ったのかは、みなさんがご存知の通りです。
おそらく二度と出ないであろう、ジャズ・ボーカルの天才です。

私は彼女の歌を元気な時にしか聴きません。いや聴けないのです。
なぜなら、「ストレンジ・フルーツ」(奇妙な果実)を聴くと、不覚にも必ず涙が出てしまうからです。
こんなにも私の心に沁みる歌はないです。
人に最も感動を与える楽器は、人の声だということを、彼女は私に教えてくれました。

日本にも彼女に匹敵する天才がいましたね・・・・・そうです、美空ひばりです。
「りんご追分」、「悲しい酒」、「川の流れのように」、「愛燦燦」を聴くと、私は今でも泣けます。


(23)セシル・テイラーのこと

ビル・エバンスのところで、バド・パウエル以降最も重要なピアニストと書きましたが、大事なこの人を忘れていました。このままだとその筋の人から叱られるのは必定です。
ニュー・ジャズ・ピアニストの旗手です。

私が初めて聴いたレコードは「ルッキング・アヘッド」、初期の作品なので、まだ余り過激ではありませんから、とても新鮮な響きがしましたね。
あと昔のジャズ喫茶では、「ユニット・ストラクチャー」と「コンキスタドール」のブルー・ノートの2枚が人気でした。
但し、この手のフリー・ジャズはお断りというお店も結構多かったのですよ。
なにしろ不協和音の大洪水ですから…私は今でも良く分かりません。

タッチが強すぎて、すぐピアノを壊すのでも有名でした。
私はこの人を聴いて、ピアノは打楽器だということを再認識しましたから。
日本で一番ピアノを壊す人は、それはもう山下洋輔さんに決まっていますよね。


(24)フランク・シナトラのこと

シナトラの歌を聴くたびに、世の中は不公平だなと思います。
もしも私にあれだけの声があったならば……考えただけで楽しくなってきます。

私が一番好きな男の歌手です、二番目はトニー・ベネット。
この二人は声質や歌い方がまったく違うのがいいです。

映画「ゴット・ファーザー」に出てくる歌手(ジョニー・フォンテーン)は、シナトラがモデルというのは良く知られています。
彼がトミー・ドーシー楽団を辞めようとして、大モメになった時、トミー・ドーシーの口に拳銃を突っ込んでサインさせたのが、マフィアだったという話は本当らしいです。

自分で好きなように歌を歌いたいがために、レコード会社まで作ってしまうのは、シナトラらしいわがままです。(彼は短気で有名、テイクは一回こっきり)
Reprise Record(リプリーズ)がそうです。最後は赤字でつぶれましたけど。

映画の演技は、お世辞にも上手いとは言えませんけれど、顔が見られるだけで良しとしましょう。



(25)キース・ジャレットのこと

初めて聴いたのは、コルトレーン派のテナー奏者、チャ―ルス・ロイドのグループにいた時です。
このコンボは、リズムセクションが中々魅力的で、私は好きでした。
キース・ジャレット(p)、セシル・マクビー(b)、ジャック・ディジョネット(ds)というメンバーです。

その後独立して、チャーリー・ヘイデン(b)、ポール・モチアン(ds)とのトリオを中心にしてヨーロッパで活躍していました。

70年代半ばに「ケルン・コンサート」という2枚組ソロ・ピアノのアルバムが、大ヒットしまして、クラシック畑の人達からも高い評価を得ました。
その頃、ソロ・ピアノ10枚組などという、とんでもないアルバムも出しています。
これが一時期話題になって、結構売れたのですから、オドロキました。
私には、到底手が出せません。

トリオものでは、「スタンダード・ライヴ/星影のステラ」がおすすめです。
時々、この人も聴きますが、あのうなり声だけはどうもいけません。
バド・パウエルもそうでしたけれど、気になりだしたらもう駄目です。



(26)ホレス・シルバーのこと

ホレス・シルバーはシルバー節と呼ばれ、ファンキー・ピアノの代名詞になっています。
作曲能力にも優れていて、ヒット曲も数多いです。

一年半続いたアート・ブレイキーとの「ジャズ・メッセンジャーズ」から独立、ホレス・シルバー・クィンテットとして、ブルー・ノートに多くの作品があります。
メンバーはやや小粒ですが、そのサウンドは中々個性的です。
良くも悪くも彼のワンマン・コンボで、終始一貫ファンキー・スタイルでやり通しましたから、最後はみんながあきてしまったというのが、本当のところでしょうね。

ジャズには緊張感が必要だという意見も多いですが、私は気楽に聴けるジャズも結構好きです。

彼のレコードも良く聴きましたが、おすすめは「アート・ブレイキー・ア・ナイト・アット・バードランド」と「ソング・フォー・マイ・ファーザー」前者はハード・バップの夜明け、後者は親しみ易いテーマが魅力です。
2枚共に「ジャズ入門最初の10枚」にも入れています。



(27)アート・ペッパーのこと

白人のアルト奏者には、その他にもリー・コニッツ、バド・シャンク、フィル・ウッズ等がいますが、アート・ペッパーの人気が頭抜けていると思います。

「モダン・アート」や「ミーツ・ザ・リズムセクション」のジャケットを見るとハンサムな優男ですが、実際には腕に刺青を入れたりして、目つきも鋭く、演奏同様中々凄みがあります。

例によってこの人も麻薬禍で、一時期プレイ不能となり、60年代の大事な時期を棒に振っています。
ヨーロッパに渡っていたらしいのですが、ハッキリと分かりません。
カムバックは70年代半ば頃でした。

50年代の陰影のある演奏も、もちろんいいですが、私はカムバック後のバリバリ吹いているアート・ペッパーもかなり好きです。



(28)ジャッキー・マクリーンのこと

ジャッキー・マクリーンもまた人気アルト奏者です。

ソニー・クラーク「クール・ストラッティン」、チャールス・ミンガス「直立猿人」、マル・ウォルドロン「レフト・アローン」等々、名盤への参加も数多いです。

オーネット・コールマンとジョン・コルトレーンの影響で、チャーリー・パーカーとは一味違った音色の持ち主で個性があります。

ブルー・ノートに残した彼の作品はどれも愛着がありますが、私が一番好きなのは「レット・フリーダム・リング」ですね。
初めて聴いた時は、それこそ吹っ飛びました。
「ニュー・ソイル」、「スイング・スワング・スインギン」、「ライト・ナウ」もお気に入り。



(29)チェット・ベーカーのこと

ジェリー・マリガンのピアノレス・カルテットのトランペッターとして、ウエスト・コースト・ジャズきってのスター・プレイヤーでした。

リリカルなプレイで50年代半ばには、あのマイルスをおさえて人気投票第1位に輝いています。
それだけに50年代は素晴らしい出来です。

印象的なのは、やはり「チェット・ベーカー・シングス」でしょうか。
中性的なヴォーカルは、なんとも言えない魅力があります。
この中の「ザッツ・オールド・フィーリング」が私のお気に入りです。
「チェット・ベーカー・イン・ニューヨーク」も良く聴きました。

この人もまた麻薬禍で、1970年前後に一時期ジャズ界から消えました。
カムバック後の作品は精彩を欠きますので、ほとんど聴いていません。


(30)ハンク・モブレーのこと

ブルー・ノートが好きな人にはお馴染みのテナー・サックス奏者です。
一流半とか二流プレイヤーとか言われていますが、意外に隠れファンが多いのも彼の特徴です。
かくいう私もその中の一人で、彼のブルー・ノートのアルバムは収集対象でした。
短い間ですが、マイルス・コンボに在団したこともあります。

ワン・ホーンの「ソウル・ステーション」やリカード・ボサノバの「ディッピン」等がヒット作ですが、その他にも面白いものが沢山あります。
確かに一流とは言えませんが、なんか安心して聴いていられるという感じがします。

中でも私が好きなのは「ノー・ルーム・フォー・スクエアーズ」で、ジャケットはサングラスのハンク・モブレーです。
A面のトランペットがドナルド・バードでピアノがハービー・ハンコック、B面がリー・モーガンとアンドリュー・ヒルですから、両方聴くことが出来て、ものすごーくお徳用なのです。





目次に戻る


4ぺージ目に進む