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ジャズのよもやま話



(11)フュージョンのこと

なぜフュージョンが生まれたのでしょうか。

1950年代に全盛期をむかえたモダン・ジャズは、1965年頃には、フリージャズに到達して、その行き場を失っていました。そこまでの事情は、ジョン・コルトレーンの足跡をたどると良く理解できると思います。


元々、ジャズはふところが深くて、リズム&ブルース、ゴスペル、ソウル、ボサノバ等ありとあらゆる音楽的要素を含有していました。
そこには、常にジャズ・ロックやジャズ・ファンクとよばれる一群が存在していて、
ディブ・ブルーベック「タイム・アウト」、
リー・モーガン「サイド・ワインダ―」、

ルー・ドナルドソン「アリゲーター・ブーガルー」、
ジミー・スミス「ザ・キャット」、

フレディー・ハバード「バック・ラッシュ」、
ドナルド・バード「ブラック・バード」、

ハービー・マン「ビレッジ・ゲート」、
ラムゼイ・ルイス「ジ・イン・クラウド」、等がその代表的なアルバムです。
一部の批評家からは、コマーシャリズムだと酷評されましたが、
ファンにとっては、そんなものは全然関係ないことでした。

フュージョンの一つの流れに、プロデュ―サーやアレンジャー達がいました。
クリード・テイラー、クインシー・ジョーンズ、ボブ・ジェームス、デイブ・グルーシン等を中心にした、スタジオ・ミュージシャンたちです。
マイケル・ブレッカー、デビッド・サンボーン、エリック・ゲイル、ステーブ・ガット、ラリー・カールトン、リー・リトナー、デビット・T・ウォーカー、ラルフ・マクドナルド、パティー・オースチン等がこの中から出た人達です。
このラインは、ジャズからみると、そのインパクトはほとんどありませんでした。

しかし、もう一方は、とても重大な出来事でした。
大御所、マイルス・デイビスの流れだったからです。
常にジャズの本流を歩んできたマイルスが、次に選んだ道がここにありました。
ジャズとロック、ジャズとエレクトリックサウンズの融合でした。
「イン・ザ・スカイ」〜「インナ・サイレント・ウエイ」〜「ビッチェズ・ブリュ―」を聞くと良くわかります。

ハービー・ハンコック、チック・コリア、ウエイン・ショーター、ジョー・ザビヌル、ジョン・マクラフリン、デイブ・ホランド、ジョージ・ベンソン、ロン・カーター、トニー・ウイリアムス、アイアート・モレイラ、ビリー・コブハム等々がいました。

この後、71年にジョー・ザビヌル、ウエイン・ショーターの「ウェザー・リポート」、72年にチック・コリアがフュージョンの金字塔「リターン・トゥ・フォーエバー」をハービー・ハンコックは「ヘッド・ハンターズ」を生み出します。


その他、クルセイダースやグローバー・ワシントン、ダニー・ハザウェイ等は、独自路線を歩んでいたと思います。

その後も、ウエス・モンゴメリーが「カリフォルニア・ドリーミング」、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」等の大ヒット作を世の中に送り出し、猫も杓子もエレクトリックサウンズを使用することと、相成りました。

76年には、ジョージ・ベンソン「ブルージン」が全米ヒットチャート1位になり、アース・ウインド・オブ・ファイア、スティービー・ワンダー、アル・ジャロウ、クール・アンド・ギャング、ジャコ・パストリウス、パトリース・ラッシェンマリーナ・ショウ等のスターも登場して来ました。
今や、フュージョンは、立派に音楽の一ジャンルとして確立されています。


(12)ビル・エバンスのこと

バド・パウエル以降、最も重要なジャズ・ピアニストではないでしょうか。

最初はトニー・スコットから、その後数楽団に在籍し、ジョージ・ラッセルのところへ、
その後ミンガスやマイルスと共演して、
この二人から受けた影響は大きかったと思います。
彼はピアノ、ベース、ドラムスを同等の立場として、三位一体のトリオを完成させた人です。
そのインタープレイの手法は、現在のピアノ・トリオにも引き継がれています。

ピアノの一音一音がとてもキレイで、知らず知らずのうちに、彼の美しい世界に引き込まれてしまいます。
なんか真面目過ぎるという印象はまぬがれませんが、耽美的で抒情的でロマンティックとでも言うのでしょうか、
日本では多分、最も人気のあるピアニストだと思います。

特にスコット・ラファロとポール・モチアンとの「ポートレイト・イン・ジャズ」、「ワルツ・フォー・デビィ」は、 ピアノ・トリオの古典的名盤でジャズ・ファンなら必聴です。
私自身は、その間の「エクスプロレイションズ」を聴く機会が一番多いのですけれど…。


(13)エリック・ドルフィーのこと

チャ―ルス・ミンガスとオーネット・コールマンの影響が大きいです。
1964年に36歳の若さで亡くなりました。

伝統的でありながら革新的、見事なまでに二面性をもった人でしたね。
個性的な馬のいななき奏法は面白かったし、バス・クラリネットという独特の楽器も魅力がありました。それにフルートも良かった。

"ファイブ・スポット"における、ブッカー・リトルとの壮絶なライブは、感動的かつ印象深い作品です。
このアルバムを初めて聴いた時の衝撃は、今でもハッキリと覚えています。


(14)オーネット・コールマンのこと

最初に聴いた時、全然理解できなくて、なんだこれでもジャズなのかと思いました。
今でもわかっているのかどうか疑問ですが、「アット・ゴールデン・サークル」は時々聴いているんですよ、これが…。
頭の中がグシャグシャになって、その後サッパリするのがいいです。

考えてみると、最初聴き慣れていなかったものが、聴いているうちに慣れてきたということだと気が付きました。

オーネット・コールマンがファンの前に出てきたのは、1959年のニューヨークの"ファイブ・スポット"で、みんな何が何だかわからずに大騒ぎになったそうですが、私にもその場景が目に浮かびます。


(15)アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズのこと

ジャズ・メッセンジャーズは、ホレス・シルバーとともに55年に結成されましたが、翌56年にはシルバーがメンバー全員を連れて独立します。
たった一人残されたブレイキーには、ジャズ・メッセンジャーズの名前だけが残されたという話は、 悲惨だけど面白いと思います。

その後しばらくは、メンバーに恵まれずに低迷しますが、58年に第一期黄金時代がやってきます。
リー・モーガン、ベニー・ゴルソン、ボビー・ティモンズの参加でファンキー・ジャズの大ヒット、大フィーバーとなりました。

第二期が61年、フレディー・ハバード、ウエイン・ショーター、カーティス・フラーによる 3管編成コンボで人気を博しました。

その後、フリー・ジャズとフュージョンのブームで、長い間低迷しますが、80年代に入り不死鳥の如く復活します。
当時の若手ミュージシャン、マルサリス兄弟、テレンス・ブランチャード、ドナルド・ハリソン、マルグリュー・ミラー等の起用で、これが第三期黄金時代です。

ジャズ・メッセンジャーズの歴史もモダン・ジャズの歴史そのもので、山あり谷あり、在籍したメンバーの多さとともに、ここではとても書き切れません。
若手ミュージシャンの登竜門としても重要な位置を占めています。

アート・ブレイキーのドラマーとしての実力もさることながら、コンボ・リーダーとしての手腕は、ホントに大したものだと思います。

終わりに一言、「ジャズ・メッセンジャーズの名前は、永遠に不滅です。」
「あーぁ、惜しいことをした」、これ、ホレス・シルバーの独り言です。


(16)トニー・ウイリアムスのこと

17歳の時に、マイルスに見出された天才ドラマーです。
私が一番好きなドラマーでもあります。
マイルスがとても可愛がったということですが、まさに天才にふさわしいプレイで、マイルス・コンボにおける彼は、身震いするほど素晴らしいものです。

その後、一時期フュージョンをやったりして低迷しますが、80年代に自己のコンボを率いて復活しました。
彼自身の演奏はおとなしくなりましたが、彼のグループは、マイルス・コンボに最も近い感じで私はとても好きでした。

確か87年にマウント・フジ・ジャズ・フェスティバルに来た頃が一番良かったと思います
フロントが、ウォレス・ルーニー(tp)とドナルド・ハリソン(as)で、ピアノがマルグリュー・ミラーでした。

残念ながら1997年/2月に51歳で亡くなりました。
彼の場合にも天才は早死にすることになってしまいました。


(17)フレディー・ハバードのこと

60年代初め、ジャズ・メッセンジャーズに入団して注目を集め、時代を担う若手トランペッターとして、期待されていました。

フレディー・ハバードの代表作はと聞かれて、私はハタと困ってしまいます。
自己の作品より他の人の作品の方が良いのではないでしょうか。
やはり70年代後半のVSOPクィンテットか。

フリー・ジャズからフュージョンまでを経験している数少ない一人です。
とても器用な人だと思いますが、逆にそれがマイナスに作用している 気がしてなりません。

実力、人気とも申し分ないのですから、自己のレギュラー・バンドで、 ジックリとジャズに取り組んでほしいのですけれど・・・。
リーダーとしての資質がいまひとつ欠けているのかな。


(18)チック・コリアのこと

21才でプロ入り、最初はモンゴ・サンタマリアやウィリー・ボボのグループに所属、ラテン系のピアニストとしてスタートしています。

スタン・ゲッツやマイルス・デイビスとの共演で知られていますが、彼の場合はなんといっても「リターン・トゥー・フォー・エバー」の大ヒットでしょうね。
「ウェザー・リポート」と並んで、70年代初めのフュージョンの名盤中の名盤です。
この作品で新しいファンを獲得するとともに従来からのジャズ・ファンをも引き留めることに成功しまして、彼の果たした役割は、とても大きかったのですよ。

プレイヤーとしての実力もさることながら、リーダーとしての能力も高く、これからも益々の活躍を期待したい人材です。



(19)ハービー・ハンコックのこと

彼もまた、マイルス・デイビスの影響下で、大成長を遂げたミュージシャンの一人です。
現在では、チック・コリアやキース・ジャレットと並んで、ジャズ・ピアノ界の実力者になっています。

「ウォーター・メロンマン」/(アルバム名:”TAKIN'OFF” blue note4109)、「処女航海」/(アルバム名:”MAIDEN VOYAGE” blue note4195)、のヒット曲や映画「ラウンド・ミッドナイト」では、アカデミー作品賞を受賞するなど、作曲能力も優れています。

ファンキーからフュージョンまでと彼のキャリアは幅広く、特に 「ヘッド・ハンターズ」は、フュージョンの大ヒット作となりました。

ハービー・ハンコックは、トリオの作品をあまり出さないことでも有名で、私自身も不思議に思っています。
もしもあなたが彼のトリオのアルバムを見かけたならば、聴いてみることをおすすめします。

マイルス・コンボでの、彼のプレイも必聴ですよ。


(20)スタン・ゲッツのこと

スタン・ゲッツといえば、ボサノバですね。
「ジャズ・サンバ」と「ゲッツ・ジルベルト」は、ボサノバ・ジャズの大ヒット作です。
あのやさしくて、あたたかいテナー・サックスの音色は、なんともいえない心地良さです。

レスター・ヤング〜スタン・ゲッツとつづくクール・テナーもまた、若いテナー・マンに 与えた影響は絶大です。

「オペラ・ハウスのゲッツとJJ」は、私が一番好きなアルバムで、オスカー・ピーターソン・トリオをバックにゲッツとJJ・ジョンソンが、スリル溢れるプレイを繰り広げた作品です。
これはレコード盤がすり切れるほど良く聴きました。
普段のゲッツとは程遠い、ホットでエモーショナルなゲッツの姿がここにはあります。

このような、いわゆるジャム・セッションになりますと、彼はソロイストとしての実力をチラッと見せるわけでして、その奥ゆかしさも私はたまらなく好きなのですよ。





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